オリンピック「銀メダル」について思うこと
<BLOCKQUOTE>感動の平昌オリンピックが閉会を迎えましたね。メダルを取った人も予選で落ちた人も、それぞれに素晴らしい感動を有難うと感謝の気持ちで一杯です。
それを前提にチョット以前から感じていたことを書かせてもらいます。
金メダルは、もちろん世界の頂点に立ち、自分や周りの方々も目指してきた「最高の結果」として得たものですから、喜びが爆発して当然です。
以前スケートの追い抜き競技(すみません正式な名前がわかりません)で、最下位だった選手が、前を行く全選手が転倒してしまい、そのまま彼が先頭でゴールを切り金メダルを獲得したことがあります。勿論世界一ラッキーと言えるでしょうが、その金メダルについて誹謗中傷をされる意味は全くありません。
彼が前の選手を突き飛ばして得たメダルなら、誹謗中傷どころかメダル剥奪です。しかし彼はルールに則り戦った結果、ラッキーを味方につけ金メダルを得たのです。
まあ、この様な例を持ち出すまでもなく、金メダルは称賛以外の何物でも有りません。
銅メダルはどうでしょう。
優勝候補がちょっとしたアンラック、もしくは不調により取る(銅メダルしか取れなかった)こともあるでしょう。それでも立派ですが、「なんだ金じゃねえのかよ」と言う批判が聞こえて来そうです。
でも、女子カーリングチームの様に、最後の相手の一投で銅メダルを取ることもあります。彼女たちの戦いは賛辞に値しますが、それでも「まさかメダルが取れるとは」と思っていた方が多いと思います。
相手のミスがあったものの、全力で戦い勝ち得たメダルだったことは、彼女たち自身の喜びに満ちた顔に現れてますね、まさにその証です。
私はカーリングが大好きで、藤沢選手が中部電力に行った時、本橋選手チーム青森で活躍したあと、地元北見でロコソラーレを立ち上げた時、それぞれに応援していました。
正直言えば、本橋選手の企業に属さないクラブ作りは無謀と思っていました。
しかし幸いにも私の愚かな心配は見事に打ち砕かれました。優勝時のインタビュー、いや準決勝の韓国戦で破れた時の彼女の涙は私の胸を大きく打ちました。
彼女の強い信念なければ成り立たないチームであり、そのチームだからこそメダルに輝いたのでしょう。本橋選手は、日付が変わるまでストーンを投げ続け、その癖を選手達に伝える、もぐもぐタイムで食べる果物をマーケットに買いに行くなど、設立者でありキャプテンでありながら裏方として徹する姿など、それを知っている選手達はより気合が入ったことでしょう。
彼女達の体格はとてもスポーツ選手、トップアスリートと呼べるものではありません。W杯などでもジュニアに間違われたと言います。
それでも、想像を絶する訓練、鍛練により勝ち得た銅メダルは、ある意味、金メダルの価値を超えるのかもしれません。比較するものではありませんが。
さて銀メダルです。
金メダルを有望視されていた選手にとっての銀メダルとはどう言うものでしょう。生憎私にはその経験がありませんから想像です。
スノーボードハーフパイプの平野歩夢選手や、スピードスケート1500mの高木美帆選手、1000mの小平奈緒選手の表情が、金メダルを取ったと言う喜びよりも、金メダルを逃してしまった、と言う悔しさを滲ませていたように見えました。
「金メダル以外ない」と思って戦った選手、「なんとかメダルを取りたい」と思った選手にとって、銀メダルの価値が変わっているのではないでしょうか。
そして「予想にしていなかった銀メダルを取れた」と喜んでいる選手も、日にちが経ってくると「あとチョットで金メダルだったのに」と悔しい気持ちが沸き起こっている方もいるかもしれません。
悔しい気持ちで銀メダルになってしまった選手は「銀メダルでも取れてよかったんだ」と、自分に言い聞かせているかもしれません。
オリンピックを見て、単にその卓越した体力、技術、精神力に感動するのはもちろんのことながら、こんな事を勝手に想像して、「ああだこうだ」と考えるのも、またオリンピック観戦の楽しみの一つなのかもしれません。
最後に、カーリングチームの帰国後のインタビューにさらに感動しました。うまく言えませんが、一人一人の素晴らしいカーリングに対する直向きさと、戦っている最中でも笑顔を出し続ける意味など。そして本橋選手の人間としての器の大きさに、「この人ならどんな事業を起こしても必ず成功させるんだろうな」と思った次第です。
藤沢五月選手の人気が大きくなってしまったことは、昔からのファンの自分としてはチョット悔しいですが。
はい「そだねー」!!
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