我が生まれ故郷の名前ですが、残念ながら「やどけ」「しゅくげ」と読まれてしまう時が多いですね。
「すくも」と読みますからぜひ覚えておいて下さい。3月4〜5日、宿毛へ帰省してまいりました。
四国の最果てに位置する宿毛のさらに西側に片島漁港があります。ここには橋で繋がっている大島があり、その西の海岸の目の前に「感陽島(かんようとう)」があります。干潮になると地続きで歩いて渡れます。
その感陽島の横に夕日が沈む時、‘海面とくっついたように見える’日本で唯一の絶景が「だるま夕日」なんです。
宿毛市は、今や人口は2万数千人しかいない小さな街ですが、以外に偉人が多く輩出されています。元総理大臣「吉田茂」もその筆頭と言えるでしょう。そして吉田茂氏の兄「竹内明太郎」が大企業、小松製作所の創業者です。
その他にも関取豊ノ島、コメディアン間寛平、ソプラニスト岡本知高、なども排出しています。どなたも個性的でしょ?
私が帰省した理由は、3月4日に「梓立祭」が模様されたので出席するためです。
もう一度質問させて頂きます。皆さん「小野梓」を知っていますか?
早稲田大学を設立した「大隈重信」の名前を知っている方は多いことでしょう。
でも、大隈と共に立憲改進党を創立し、早稲田大学の前身「東京専門学校」を設立したのが小野梓なのです。
大隈重信が彼を最も尊敬し、大隈の反対派であった伊東博文や井上馨が彼をはばかっていたというのだから、大した大物です。
しかしなんと35歳の若さでなくなりました。「国憲汎論」やその他の法律書を著作した小野は、後10年でも長生きしていれば、今でも延々と語り継がれるほどの人物になっていただろうと言われています。
その「小野梓」を忍んで設立したのが「梓立祭」です。今年で16回目とまだ年数は少ないですが徐々に参加者が増え、早稲田大学元総長「奥島氏」、富山房代表取締役「坂本女子」、そして小松製作所顧問や副社長(小松製作所関係者は約20名)など沢山の方々が集られました。
そしてこの時、地元の小学、中学性を対象にした絵画、作文の優秀者を表彰しました。最後に最優秀賞の小筑紫小学校五年の〇〇君が作文を元気一杯の力強い言葉で読み上げました。
表彰式が終わると「草食男子」の名付け親「深澤真紀」女子による、素敵な講話がありました。テレビでは良く見かける方ですが、素晴らしく頭の切れるかたで、80分間喋り続ける弾丸トークに魅了された次第です。
詳細は次回にさせて頂きす。
さてさて、19時からは懇親会です。賑やかなもんですよ、さすが酒豪の国高知です。
とにかく手酌させると、「とんでもない失礼をしてしまった!」と「切腹」しなければならない国ですから、ガンガン飲みながらも他人のコップの残量を気にして、空になりそうだと直ぐに注いで来ます。
でも面白かったのは、貴賓に目録を贈呈するところです。
一番最初に壇上に呼ばれた奥島元総長は、梓会会長の澤田氏より目録を受け取り下壇します。それを目録を澤田氏に渡していた澤田氏の奥様が走って追いかけ、目録を返して貰ったのです。
なんと、目録は一つしかなく、それを贈呈式で“たらい回し”にしたのです!!
奥様が申し訳なさそうに目録を返してもらうのが面白く、次第に登壇者が目録を持って逃げようとしたり、服の中に仕舞い込んだり、澤田氏から受け取るとそのまま奥様に返したりと、みなさんウケ狙いに必死なので、それがまた面白い!
二次会にもそのまま半数の人が移動し、田舎町には信じられない自家製窯を備えたオシャレなイタリアンのお店を貸し切りにして、ワインのがぶ飲みです。
私もワインをおそらく二本ほどと、ピザが美味しくて何切れも食べてしまいました。
翌日は、宿毛商工会立田会頭の段取りで、地元の電機業者五社に「FeDO」のプレゼンをさせて頂きました。立田会頭はバイオマス工場を設立したり、宿毛の活況に尽力をなさっています。
私も、宿毛市出身として少しでもお役に立てられればと思います。