2020に向けて東京都内の道路整備が始まっています。中々商店や飲食店に関わっていないと分かりづらいでしょうが、道路に設置されている看板も規制対象となっています。つまり今までは店舗の軒先きなら看板を置いても良く(ほぼ黙認状態ですが)、大抵は排水溝のあるところまでとされていました。
*屋外広告物を規制誘導する法律としては、屋外広告物法(昭和 24 年法律第 189 号)がある。実際の屋外広告物の表示や掲出物件の設置等に関する具体の規制事項・要件は、地 方公共団体(都道府県、指定都市、中核市、一部の景観行政団体)毎に制定している。
ところが羽田空港のある大田区を中心として、その排水溝あたりまで置けていた看板を撤去しなければならなくなりました。
これは約三年前から強化され、今では都内の23区はこの規制になっています。ということで今まで置き看板やデジタルサイネージを置いていたのが置けなくなったのです。ただ、完全に置けなくなったわけではなく、引っ込めれば良いのです。ですがその引っ込めておいてはアイキャッチになりませんよね。特に置き看板は歩いてくる人達に向かっていなければならないのに、奥に引っ込めると正面からしか見られなくなってしまいます。両面のデジタルサイネージを使っていたところでは、片面しか見られないので最悪です。そこで立体的に画像が飛び出す3D映像に注目が集まっています。
この度私が顧問に就任した
Life is Style社の3Dファントムはその最先端を行く3Dデジタルサイネージです。
環境問題という点では少し視点がずれているように思われるかもしれませんが、国が進める道路の整備に3Dファントムもひと役買うことができていると思って貰えれば、我が社が進める環境問題とリンクしていると理解いただけるでしょう。
旧年中は大変お世話になりました。皆様におかれましても素晴らしい新年を迎えられたこととお慶び申し上げます。
地球温暖化防止に向けパリ協定努力目標「1.5℃未満」における、影響、リスク、適応、緩和などに関して詳細な報告が公表されました。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)特別報告書のポイント
1.産業革命前と比較して、地球の平均気温は現在すでに1℃上昇している。
2.地球温暖化が現在の状況で続けば、早ければ2030年、遅くとも2052年までに1.5℃上昇する可能性が高い。
- 2℃上昇した場合は、1.5℃上昇よりも、極端な高温、強雨、干ばつ、生物多様性や人の健康への悪影響など、多くのリスクが明確に高くなる。
4.気温の上昇を1.5℃に抑えるためには、2030年までに人為的な二酸化炭素(CO2)の排出量を2010年比で45%減らし、2050年頃には実質ゼロにする必要がある。
- 1.5℃以内に抑えるための活動には、社会のあらゆる側面で急速かつ広範な、これまで例のないような変化をもたらす取り組みが必要になる。
どうでしょうか、これを読まれて何を感じましたか。
もう何をやっても気温の上昇は止めることが出来ない現状で、わずか0.5℃の差しかありませんが、上昇を2℃ではなく、1.5℃に抑えることが重要なのです。と言うかこの選択がマストなのです。
「緑豊かな地球を後世に残していく」
私は、この言葉のために今の省エネ事業を行なっていると言っても過言ではありません。
今の地球にしてしまった自分も含めた人間の罪はとても大きなものです。
今からでも出来るだけの手段は講じていかなければなりません、国や企業だけでなく、全世界中の人たちが手を取り合って取り組まなければならない最重要課題なのです。
皆様もレジ袋をもらわない選択、ゴミを出さない努力、畜産動物を減らすためにどうすれば良いかなど、一人一人が向き合い、緑豊かな地球を残しま
今回の未曾有の大雨は凄まじい爪痕を残してさって行きました。今日(10日)現在での死者数は100名を超える大惨事となりました。お悔やみを申し上げるとともに、いまもまだ避難されている方々に1日も早く帰宅できる日が来ることを願っております。
実はかく言う私自身もこの大雨の被害に遭った一人なのです。
木曜日に広島に行き、広島県遊協様などを回り、何店舗か回ってからその夜に岡山に入りました。既に広島でも雨になっていましたが「梅雨の雨」その程度の認識しかありません。
金曜日に北区のお客様から岡山県遊協様を周り倉敷へ向かいました。しかし雨はますます強さを増し、国道2号線は大ラッシュ。高速道路が全面閉鎖されていたためでした。
「これは大変なことになりそうだ」と思い、倉敷のお客様にアポイントを一時間早めて頂き、レンタカーを戻し新倉敷駅に着いたのは17時丁度。車であの渋滞、しかも金曜日の夕方とあってはさらに渋滞をしているであろう国道2号線を走る気にはなれなかったのです。
*写真 毎日新聞より 岡山県倉敷市真備町
さてこの後が激動なのですが長くなるので掻い摘んで説明します。
一時間遅れで到着したこだま新大阪行きは、通路からドアの入り口まで大混雑。私もやっとドアの端っこに乗ったほどでした。
「このまま新大阪まで行った方が正解では?」とお思いましたが、予定では二時間、さらに遅延を考えれば三時間だってかかるかもしれません。このまま立って行くにはキツすぎます。岡山で多くの方が下車するとしても席を確保できるとは限りません。場内放送が全くないのと、ネットで調べても情報が入ってきません。判断につきかねたまま岡山駅で下車しました。
結果、もう東京へ戻る手段がなくなってしまいました。大阪と東京間を新幹線が往復していますので、大阪まで戻っていればなんとかなったと言うのが結果論です。
そのまま、もう一度岡山に泊まらなければなりませんがホテルの確保ができません。一時間近く駅で待ちながら必死に探してくれている総務からの連絡を待ちます。
結局市内は取れないので倉敷まで戻ってくれとのこと。イヤイヤ電車は既に止まっているしタクシーだとどれだけかかるか分かったものではない。
では自分電話をすることにしました。
「一番の穴場は絶対に一番近いところ」と勝手な信念でかけると一発でOK!
今日みたいな日はキャンセルと当日宿泊とが入り乱れているから、ネットでは間に合わないのです。
翌日も再開目処立たずと言うことで再度同じホテルに止まり、近くのイオンモールで時間を潰したりして、日曜の8時半発で帰宅しました。
日本全国や世界も結構行っている方だと思いますが、これほどの移動困難に遭遇したことがありません。不謹慎な言い方かもしれませんが、良い体験をさせて頂きました。重ね重ね、位置にも早い復興を切に願っております。
ダクト業界の座談会でのコメントが深刻
ヤマト運輸の件から運搬費が上昇し、佐川急便も値段の見直しをしています。
さらに労務者の勤務体系についても隔週の休みを、毎週土日休みと変更しました。これはとりもなおさず離職者を減少するためですが、就労日数が2〜3日減っても給与は変わらないので、その分の給与上昇ということです。
また人手不足の上に就労日数まで減ることになり、強いては休日出勤をするケースが増え、その分の休日手当までも増えるということになります。
先般発表された国交省の「公共工事設計労務単価」では、平成24年に比べ30年では40数%アップしたと言われています。ダクト工に限って言えばそれほど上がっているという感覚はなく、日当3万円、月給75万円というのが上級職クラスの給与という。ただ手取りで月に60万円、年収720万円が上級職の収入というのは、目指す若者にとって魅力的なものではなく、これを年1千万円に持っていく必要がある。
そうなると外注費関係は、少なくとも30%はアップしていかなければなりません。
これが労務費の高騰についてのざっくりとした流れです。
さらには鉄板の大幅値上げから材料費も20%高騰しています。
輸送費は先のヤマト運輸の件のように上がっています。人手不足はリフト等での運転手不足にもなっており、運搬費全般では30%増しが妥当とのこと。
まとめると下記のようになります。
受注を40%あげるなんて現実的に出来ますか?
近所のラーメン屋なども野菜高騰のため、10〜15%値上げしていますが、それで精一杯でしょう。
労務費が97年度比で98%まで戻ったとあります。つまり20年間で戻ったと言ってもマイナス2%なのです。デフレ環境下では労務単価を苛めてきたという証明ですね。
まあ、日本の株価はその頃よりも相当に安くなっていることから、労務費にのみ負担をしわ寄せしているわけではありません。
復興支援、東京駅周辺開発、リニアモーターカー、東京オリンピック、さらにはビットコインの様なミニバブルと言える昨今ですが、本当に泡の上に築いた砂上の楼閣にも見える日本の現状に感じてしまいますね。
*参照:空調タイムス
深澤真紀先生の講話について・・・
先ずはプロフィールを紹介しましょう。
獨協大学特任教授
コラムニスト
企画会社タクト・プランニング代表取締役
早稲田大学卒業後は情報番組「とくダネ」など多数出演コメンテーターとして活躍。
「草食男子」や「肉食女子」を命名、2009年流行語大賞ベスト10に選ばれる。
私もよくテレビで拝見してお顔は知っていますが、その通りによく喋り、頭の切れる方です。大体にしてお喋りで早口な方は頭の回転は良い様ですね。
80分間休みなく続く弾丸トークは、とても魅力的でまるで深澤小劇場を観るかの様でした。
とても参考になるお話が多かったので、必死にメモを取りながらでしたが。
草食男子とは・・・
草食男子という言葉は「マイナス語ではなかったのに、次第にマイナス語として使われる様になってしまった」というのは驚きました。
「モテないわけではないが恋愛やセックスにがっつかない」
「据え膳食わないし、送り狼もしない」
「家族や友人を大事にし、女性と友人関係がもてる男性」
という意味とのことです。
大学生に「据え膳食わぬは・・・」と言うと、「意味がわからない」と言われ、説明すると、「そんな自分からやってなんて言う女の子いるわけないじゃないですか!」と驚かれ、「送り狼・・・」と言うと、「先生、それは犯罪ですよ!」と言われたと言うのには、腹を抱えて笑ってしまいました。
確かに「草食男子」とは言い得て妙ですよね。
今時の若者は貯蓄をしている・・・
18〜19歳の大学生がアルバイトをしながら一生懸命貯蓄をしているとのことです。深澤先生の学生時代はバブル絶頂期の頃で、貯めるどころか使い道を考えるのに躍起になっていた頃ですね。
「なんで君はその若さでお金を貯めてるの」
「先生、今からの日本がどうなって行くのか、さらに自分たちが年取った時は、年金が崩壊しているんですよ」
となんとも現実的な考え。我々がその年の時に、老後を考えてなんて有りませんでしたよね。今を必死に生きて行くこと、私は遊び呆けるなんて出来ないですが、他の同級生は遊ぶのに夢中だったりしていました。
そもそも若者が減っているのですから、ライバル心を剥き出しにした出世欲なんて無いのかもしれません。
出生率 1950年270万人 → 2015年100万人
大学に受かるのもたやすくなってきて、学士様と言う肩書きが薄れているのもあるでしょう。大学生としての価値観の薄さ、みたいなものでしょうか。
ちなみにセックスの回数と出生率は関係ないとのことです。
ギリシャ セックス回数 年140回 出生率1.5人
日本 セックス回数 年50回 出生率1.4人
若者は結婚や子供に興味がない・・・
正社員20代男性は25%が結婚し、33%に交際相手がいる。約6割に妻か恋人。
非正規20代社員は4%しか結婚せず、16%しか交際相手がいない。約2割に妻か恋人。
この数字を見ると、興味がないと言うか、生活基盤が有るか無いかで三倍の差が開いている様に見えますね。
深澤先生も「お金の若者離れ」と言う表現をしていました。
若者が金を稼ぐことよりも自分のライフスタイルを重要視しているのかもしれません。
「いばられる」のも「いばる」のも嫌いで、「褒める」のも「褒められる」のも好きと言うことです。島耕作型ではなく釣りバカ日誌型とのこと。
若者とネットは問題か?・・・
ネット炎上を起こしているのは「中高年」「男性」「妻子がいる」「年収が高い」「経営者や地位が高い」人が一番多い。海外ではトランプ大統領を始め、各国の要人がネット炎上している。
日本ではパソコンを使わなくなっている若者が多く、スマホは読む道具、パソコンは作る道具。
最近の日本は怖い?・・・
殺人発生率は世界で最も少ない。一般刑法犯のうち10〜20代が占める割合は、1989年 → 70%
2015年 → 40%
と減っている。
若者の死因1位が「自殺」なのは日本だけ。
死因の2位が「殺人」なのはアメリカだけ。
不思議なのは、若者の貧困率が上がってきているのに、若者の犯罪率が減っているのは日本だけとの事です。
穿った見方ですが、「犯罪を犯してでも“金が欲しい”的な欲求、欲望さえも生まれない」のかもしれませんね。
女性が輝く社会・・・
日本の男女平等度は約140カ国のうち100位前後。
女性の社会進出は進んでいても、男性の家庭進出は進んでいない。
ここからは、ではどうすれば良いかの参考になると思います。
若者や女性を育てるために、彼らにアドバイスする2つのこと・・・
- 自分の頭で考え、自分の言葉で話すのではなく、まず他人の頭と言葉をたくさん知って、そこから選ぼう。
- 色々な考え方や生きかたを知り(政治、思想、宗教、性的指向、家族観)、他者を尊重し自分の尊厳を大事にしよう。不寛容や差別、権力の横暴にはきちんと怒ろう。
若者や女性を育てるための選択肢は3つ・・・
- 自分たちが好きなものや好きな生き方を伝えていく(彼らを尊敬するのが好き)。
- 「若者は」「女性は」と大きな問いかけではなく、「あなたは」と言う問いかけをする、一人一人の」多様な生き方を尊重する。
- 自分たちを上手く使ってもらう。過去の成功体験に頼らず、自分たちの技術や失敗を伝えていく。若者と女性にチャンスを!
このアドバイスは深澤先生の教えのまま書いています。
最後のトークで印象的だったのが、
「今の学校は校則をより厳しくしているところもあり、学生を画一的に扱いたいと思っている」
「その典型がリクルートファッション、個性を出さず、皆同じ格好にする。歩いている姿はまるで喪服を着て葬式に向かっている集団」
「と言いながら、社会人になると『もっと個性を出せ!』と言い始めるから、若者が困惑してしまう」
その通りだと思いますね。
さらに、
「君たち若者はどう思っているわけ?」
なんて聴きかたは逆に言えば、
「あなた達おじさんはどう考えているの?」
と聞かれているのと同じ。
確かにそう聞かれると、
「他のおじさんがどう考えているかなんてわからないが、俺は“ウンヌンカンヌン”・・・」と言うんじゃないでしょうか。
若者だって他の若者がどう考えているかなんてわからないのですから、
「君はどう考えているの?」
とその人を一個人として認め、その人の意見として聞くべきですよね。
最後に深澤先生の言葉で締めたいと思います。
「彼らを信じて、彼らに頼ることが自分たちのためになる」
我が生まれ故郷の名前ですが、残念ながら「やどけ」「しゅくげ」と読まれてしまう時が多いですね。
「すくも」と読みますからぜひ覚えておいて下さい。3月4〜5日、宿毛へ帰省してまいりました。
四国の最果てに位置する宿毛のさらに西側に片島漁港があります。ここには橋で繋がっている大島があり、その西の海岸の目の前に「感陽島(かんようとう)」があります。干潮になると地続きで歩いて渡れます。
その感陽島の横に夕日が沈む時、‘海面とくっついたように見える’日本で唯一の絶景が「だるま夕日」なんです。
宿毛市は、今や人口は2万数千人しかいない小さな街ですが、以外に偉人が多く輩出されています。元総理大臣「吉田茂」もその筆頭と言えるでしょう。そして吉田茂氏の兄「竹内明太郎」が大企業、小松製作所の創業者です。
その他にも関取豊ノ島、コメディアン間寛平、ソプラニスト岡本知高、なども排出しています。どなたも個性的でしょ?
私が帰省した理由は、3月4日に「梓立祭」が模様されたので出席するためです。
もう一度質問させて頂きます。皆さん「小野梓」を知っていますか?
早稲田大学を設立した「大隈重信」の名前を知っている方は多いことでしょう。
でも、大隈と共に立憲改進党を創立し、早稲田大学の前身「東京専門学校」を設立したのが小野梓なのです。
大隈重信が彼を最も尊敬し、大隈の反対派であった伊東博文や井上馨が彼をはばかっていたというのだから、大した大物です。
しかしなんと35歳の若さでなくなりました。「国憲汎論」やその他の法律書を著作した小野は、後10年でも長生きしていれば、今でも延々と語り継がれるほどの人物になっていただろうと言われています。
その「小野梓」を忍んで設立したのが「梓立祭」です。今年で16回目とまだ年数は少ないですが徐々に参加者が増え、早稲田大学元総長「奥島氏」、富山房代表取締役「坂本女子」、そして小松製作所顧問や副社長(小松製作所関係者は約20名)など沢山の方々が集られました。
そしてこの時、地元の小学、中学性を対象にした絵画、作文の優秀者を表彰しました。最後に最優秀賞の小筑紫小学校五年の〇〇君が作文を元気一杯の力強い言葉で読み上げました。
表彰式が終わると「草食男子」の名付け親「深澤真紀」女子による、素敵な講話がありました。テレビでは良く見かける方ですが、素晴らしく頭の切れるかたで、80分間喋り続ける弾丸トークに魅了された次第です。
詳細は次回にさせて頂きす。
さてさて、19時からは懇親会です。賑やかなもんですよ、さすが酒豪の国高知です。
とにかく手酌させると、「とんでもない失礼をしてしまった!」と「切腹」しなければならない国ですから、ガンガン飲みながらも他人のコップの残量を気にして、空になりそうだと直ぐに注いで来ます。
でも面白かったのは、貴賓に目録を贈呈するところです。
一番最初に壇上に呼ばれた奥島元総長は、梓会会長の澤田氏より目録を受け取り下壇します。それを目録を澤田氏に渡していた澤田氏の奥様が走って追いかけ、目録を返して貰ったのです。
なんと、目録は一つしかなく、それを贈呈式で“たらい回し”にしたのです!!
奥様が申し訳なさそうに目録を返してもらうのが面白く、次第に登壇者が目録を持って逃げようとしたり、服の中に仕舞い込んだり、澤田氏から受け取るとそのまま奥様に返したりと、みなさんウケ狙いに必死なので、それがまた面白い!
二次会にもそのまま半数の人が移動し、田舎町には信じられない自家製窯を備えたオシャレなイタリアンのお店を貸し切りにして、ワインのがぶ飲みです。
私もワインをおそらく二本ほどと、ピザが美味しくて何切れも食べてしまいました。
翌日は、宿毛商工会立田会頭の段取りで、地元の電機業者五社に「FeDO」のプレゼンをさせて頂きました。立田会頭はバイオマス工場を設立したり、宿毛の活況に尽力をなさっています。
私も、宿毛市出身として少しでもお役に立てられればと思います。
<BLOCKQUOTE>感動の平昌オリンピックが閉会を迎えましたね。メダルを取った人も予選で落ちた人も、それぞれに素晴らしい感動を有難うと感謝の気持ちで一杯です。
それを前提にチョット以前から感じていたことを書かせてもらいます。
金メダルは、もちろん世界の頂点に立ち、自分や周りの方々も目指してきた「最高の結果」として得たものですから、喜びが爆発して当然です。
以前スケートの追い抜き競技(すみません正式な名前がわかりません)で、最下位だった選手が、前を行く全選手が転倒してしまい、そのまま彼が先頭でゴールを切り金メダルを獲得したことがあります。勿論世界一ラッキーと言えるでしょうが、その金メダルについて誹謗中傷をされる意味は全くありません。
彼が前の選手を突き飛ばして得たメダルなら、誹謗中傷どころかメダル剥奪です。しかし彼はルールに則り戦った結果、ラッキーを味方につけ金メダルを得たのです。
まあ、この様な例を持ち出すまでもなく、金メダルは称賛以外の何物でも有りません。
銅メダルはどうでしょう。
優勝候補がちょっとしたアンラック、もしくは不調により取る(銅メダルしか取れなかった)こともあるでしょう。それでも立派ですが、「なんだ金じゃねえのかよ」と言う批判が聞こえて来そうです。
でも、女子カーリングチームの様に、最後の相手の一投で銅メダルを取ることもあります。彼女たちの戦いは賛辞に値しますが、それでも「まさかメダルが取れるとは」と思っていた方が多いと思います。
相手のミスがあったものの、全力で戦い勝ち得たメダルだったことは、彼女たち自身の喜びに満ちた顔に現れてますね、まさにその証です。
私はカーリングが大好きで、藤沢選手が中部電力に行った時、本橋選手チーム青森で活躍したあと、地元北見でロコソラーレを立ち上げた時、それぞれに応援していました。
正直言えば、本橋選手の企業に属さないクラブ作りは無謀と思っていました。
しかし幸いにも私の愚かな心配は見事に打ち砕かれました。優勝時のインタビュー、いや準決勝の韓国戦で破れた時の彼女の涙は私の胸を大きく打ちました。
彼女の強い信念なければ成り立たないチームであり、そのチームだからこそメダルに輝いたのでしょう。本橋選手は、日付が変わるまでストーンを投げ続け、その癖を選手達に伝える、もぐもぐタイムで食べる果物をマーケットに買いに行くなど、設立者でありキャプテンでありながら裏方として徹する姿など、それを知っている選手達はより気合が入ったことでしょう。
彼女達の体格はとてもスポーツ選手、トップアスリートと呼べるものではありません。W杯などでもジュニアに間違われたと言います。
それでも、想像を絶する訓練、鍛練により勝ち得た銅メダルは、ある意味、金メダルの価値を超えるのかもしれません。比較するものではありませんが。
さて銀メダルです。
金メダルを有望視されていた選手にとっての銀メダルとはどう言うものでしょう。生憎私にはその経験がありませんから想像です。
スノーボードハーフパイプの平野歩夢選手や、スピードスケート1500mの高木美帆選手、1000mの小平奈緒選手の表情が、金メダルを取ったと言う喜びよりも、金メダルを逃してしまった、と言う悔しさを滲ませていたように見えました。
「金メダル以外ない」と思って戦った選手、「なんとかメダルを取りたい」と思った選手にとって、銀メダルの価値が変わっているのではないでしょうか。
そして「予想にしていなかった銀メダルを取れた」と喜んでいる選手も、日にちが経ってくると「あとチョットで金メダルだったのに」と悔しい気持ちが沸き起こっている方もいるかもしれません。
悔しい気持ちで銀メダルになってしまった選手は「銀メダルでも取れてよかったんだ」と、自分に言い聞かせているかもしれません。
オリンピックを見て、単にその卓越した体力、技術、精神力に感動するのはもちろんのことながら、こんな事を勝手に想像して、「ああだこうだ」と考えるのも、またオリンピック観戦の楽しみの一つなのかもしれません。
最後に、カーリングチームの帰国後のインタビューにさらに感動しました。うまく言えませんが、一人一人の素晴らしいカーリングに対する直向きさと、戦っている最中でも笑顔を出し続ける意味など。そして本橋選手の人間としての器の大きさに、「この人ならどんな事業を起こしても必ず成功させるんだろうな」と思った次第です。
藤沢五月選手の人気が大きくなってしまったことは、昔からのファンの自分としてはチョット悔しいですが。
はい「そだねー」!!
</BLOCKQUOTE>
二転三転して奇妙な展開になって来たのでブログにまとめます。
先ずは、皆さんも「下町ボブスレー」の話はご存知でしょう。東京都大田区の町工場が中心となり開発したボブスレー(二人乗り)を、ジャマイカの女子チームが「一緒に五輪を戦う」と発表し話題になりました。
安倍総理は道徳の本にまで取り上げたほどですからね。
ところが平昌オリンピック寸前に「日本製を使用せず、ラトビア製のボブスレーを使用する」と言ってキャンセルして来たのです。
それを聞いて下町ボブスレー側は「実際に使用されなかったときは告訴する」と激怒したのです。
しかし、なぜラトビア製に変わったかと言うと、W杯に間に合わなかった日本製に代わりラトビア製を使用したところ、タイムが良かったからと言う事です。
それが本当なら、1秒でも早いタイムを出すために努力しているチームとしては、早い方を使用するのが当然のことでしょう。
日本的な緩い感覚は、契約内容に使用しなかった時は契約違反となりウンヌンカンヌンとは書かれていないどころか、「五輪出場資格を得るまではラトビア製で走って良い」と、信じられない妥協をしているところです。
下町側にしても現状が完全だと思っていなく、使用者側(ジャマイカ)から改良要請があればより良く改良すべきと思っていた(それは当然のことです)にもかかわらず、そこまで経費がないからとやっていなかったのです。
それでも「五輪には自分達の使ってね」って、1秒でも早いタイムが出るボブスレーを使用するのが誰にとっても当たり前にもかかわらず、「じゃあ訴える」なんて、そんな感情論が通るはずもありません。
そして、さらに新展開です!!
14日のニュースで、ジャマイカのキリアシス・コーチが辞任したと、ジャマイカ連盟が発表したのです。
噂に近い話ですが、同コーチはとてもワンマンで独裁的な指導をしていたとのことです。それだけなら、「膿を出しスッキリとして五輪に挑む」で良いと思います。しかし信じられない事が起きたのです。
「このボブスレーは私に所有権がある、使用するなら使用料を支払え」と言って来たのです。
先の話を思い出してください。「W杯に間に合わなかった日本製に変わり、ラトビア製を使用した」と言う話を。
そうなのです、このラトビア製を手配したのが、どうコーチだったわけです。
さらに、なんと下町側は、使用を拒んでいたジャマイカチームの為に(穿った見方をすれば、裏切られたにも関わらず未練たらしく)、平昌にまでボブスレーを運んでいたのです。
同コーチの話を聞いた下町側は喜んで「どうぞうちのボブスレーを使ってください」と提案していると言うのですから、どんだけお人好しなのか。
まるで愛人を作って逃げた女房が、愛人に捨てられ路頭に迷っているところへ、「これで温かいものでも食べな」と財布を差し出している、お人好しな「えなりかずき」みたいな顔をした夫みたいではありませんか!
人情深過ぎて呆れて涙が出て来そうです。しかし他の国が「うちの一台余っているから使って良い」と、これも善意の提案をしてくれています。
これで他の国のボブスレーを使うことになったら、『逃げた女房に財布を差し出したら、金だけ持って新たな他の男のところに行ってしまった』になりませんか?
そうなったら、涙を流しながら大笑いして馬鹿にしてやります!!
このような痛ましい事件が、7日川崎市で起きてしまいました。この事件を起こしたのは二十歳の女子学生です。
女子学生は左耳にイヤホン、左手にスマフォ、右手には飲み物を持って運転していたと言います。と言う事は、ながら携帯も勿論のことながら手放し運転、もしくはそれに近い運転をしていたと言う事になります。
重過失致死で書類送検されました。命を奪われたお婆さんの無念を、彼女には一生を掛けて償ってもらうのは勿論ですが、自分自身の未来まで摘み取ってしまう事になり、あまりにも不注意と言うにも腹立たしく虚しい事件です。
さて、ながら携帯によるトラブルは後を絶ちません。最も多いのは人でごった返す駅で携帯を見ながら歩いている人でしょう。これは信じられない事ですが、しょっちゅう目にします。
当然周りの人とペースが合わず、前から来る人にも後ろから来る人にも大迷惑をかけています。
かと言う私がながら携帯をした事がない訳ではありません。歩きながらメールをする事はありませんが、最も多いのは地図アプリを使っている時です。ただ、同じ様に地図アプリを使って歩いている方は、間違いなく前方も見ながら歩いて、時々地図に目を落としています。これは、スマフォを凝視する必要がないからです。
しかしメールやラインに夢中になっている人は、凝視したまま歩いてますね、これは止めなければなりません。実際にはどちらも悪い事なので止めろとなりますが。
スマフォは今の時代、無くてはならないものです。それだけ便利な道具も、使い方一つ、使い手の意識一つで魔法の道具にも悪魔の道具にもなり得ます。
皆さんも注意して使ってください。
ある会合の壇上に立たれたT会長の話に感銘を受けた私は、直ぐに名刺交換させて頂きました。引っ切り無しに挨拶される方々に、会長は2時間の間椅子に座ることなく対応されており、その姿にまた感銘した次第です。
色々な会合で著名な方の講話を聞かせていただくことも多いのですが、感心したり感服したりすることはあっても、感銘を受けることはそう多くはありません。
T会長に帰り際もう一度挨拶に伺い、その時は会長もひと段落されていたので、お話をさせて頂きました。そして、帰宅し本日のお礼と私の近況を短くまとめメールさせて頂きましたところ、直ぐに返信を頂きました。
「仕事は厳しいもの、行いは愚直にやるもの。しっかり頑張ってください」とのお言葉に、「全くその通りです」と感心した次第です。
そして、翌月に行われた「一足早いクリスマスパーティ」にお誘い頂いたのです。
そこでは会長も私も早目に行き、開演前にしっかりとお話をさせて頂くと今度は「では社員の方々に会わせてください、会えばどのように考えているのか直ぐにわかりますから」と考えてもいなかったお言葉を頂きました。
丁度12月12日に“定例会議”があり、その時に幹部が集まるので来て頂きことにしました。
当日は私が自宅までお迎えに行き、その車中でも色々なお話をさせて頂きした。
我が社では幹部と私を入れて6名(残念ながら年末ということもあり2名が参加できませんでした)に、約3時間のお話を頂きました。
流石に時価総額1兆8000億円の会社をご兄弟で築き上げられた人生訓は、全ての一言一言に重みがあり、みんなで必死メモを取りました。
『変化価値論』『原因自分論』などは大変興味深いお言葉でした。
特に「顔が綺麗に見えないからと曇りガラスを必死に拭いても、自分の顔が汚れて入れば綺麗に見えるはずがない」とのお言葉。これが『原因自分論』の例え話ですが、とても良く分りやすく胸に響きました。
これを機に我が社も一層の飛躍を誓います。素晴らしい年末のサプライズを頂き心より感謝です。